新着詳細

9/9 服屋で働く女の子が可愛い話

 企画営業課のMです。家族と話す時に自分を僕と呼んでしまって社会人に毒されてしまったなと感じている次第です。なのでこの文章の中ではオレで通そうと思います。

 お盆休みの時にオレが実家に帰って、普段出不精で車もないから余り外出しないので、久し振りに家族と服を買いに行こうという話になりました。で、名前もよくわからん服を雰囲気だけで選んで、レジに持って行きました。

 精霊流し(あのうるさいやつです)の夜だったので早目に閉店します。午後七時寸前です。お盆だしこの時節だしできっと疲れているのでしょうが、有り難いことにニコニコしながら対応してくれました。オレが会計をしてる間に、店員さんが手早く服を畳んで袋詰めするんですが、その遺漏のない動作を見ていて妙に心ひかれました。後々になって考えると母親がとあるチェーン店で働いていて昔から裁縫を息するように自然にやっていたこと、今現在のオレの生活が頽廃的で、そういう生活感のある所作にああいいなと心動かされる処に要因があるのだと思います。敬愛の意で45度直角お辞儀をしながら出て来ました。少し生活を見直さなければ。

 接客業のアルバイトをやっていた時、いい人であることを心掛けていました。やり方は色々ありますが、まずは笑顔で挨拶をすることです。二年間やって結論として性格は(これでも)少し前向きになりました。お客様の中に知合いが増えるとバイトが楽しくなって来ます。普段吾々は外面と内面とを別々に考えがちですが、多分そんなことはなくて、自分で外面を作っているつもりでも、ホントは内面の方が外面に結構影響を受けている。マルセル・エーメの「第二の顔」なる小説があります。主人公の中年男性がある日美青年に変身して、新しい顔で古い自分と関係ある女性に接触するのです。でも紹介の手紙を偽造して秘書兼愛人に会った時、その余りの素っ気なさに侮辱を感じて激昂します。彼女がイケメンなだけの若い男に魅かれない処を喜ぶことはあっても怒る理由は別にない。彼女を揶揄ってやるつもりだったのが、いつの間にか自分が心から違う人間になりきっている処が怖い。そんな極端な事例は現実にはないんだけども、自分を飾ろうとすることというか、飾ることが出来ると思っていることが馬鹿馬鹿しいのかもしれません。

いい人とそうでない人とは大局的に見れば要するに時代の趨勢に合致している人ですから、悪い奴とまでは言われたり思われたりしていないにしても、会話の中で何かギャップがあるなと自分でも思っているし、多分話している相手も思っている時がある。でもいい人を演じるのは無意味ですから、何か自然体……本来の性格でいても許される絶対的な技を身につけたいと思ってるこの頃です。

9/9 服屋で働く女の子が可愛い話