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人間ぎらい

 あるニュースを見ました。人生で一回もデートしたことのない20代男性が全体の四割を占めるそうで。私ですらあるんですが。若者の恋愛離れが根底にあるということらしいが、ホントかな。

 私などは人間関係というのはもっともっと希薄でも宜しいのではないかと考えますが、どうでしょう。他人のことなどはある程度無関心でいた方が、気が楽なのでは。

人間ぎらい

「人間ぎらい」という本があります。作者のモリエールは17世紀のフランスで劇団を率いて一世を風靡した喜劇作家です。

 主人公のアルセストは俗に言う「建前(本文では「阿諛追従:相手に媚び諂って言う言葉)」を性格的な拒否感があるために一切使わない。詩の品評を頼まれた時も、無難なことを言って褒める友人をよそに、思ったことをそのまま口に出して喧嘩になりかける。それは彼の想い人セリメーヌにまで及び、相手の品行について自分の考えを伝えると「他人に説教するのが貴方にとっての愛情なの?」みたいな呆れ方をされる。

 またこのセリメーヌというのは三枚舌外交の女で、アルセスト以外にも言い寄って来る男が複数いるのですが、彼らに送る手紙に、例えばAへの手紙にはBとCの悪口を書き、Bへの手紙にはAとCの悪口を書く……自分の信念・主張など何もない、今の行動が過去と矛盾していても関係ない、ただ「その場の空気を悪くしないためにいい顔をする」のが最優先な女性という。

 どっちも極端な人間の例ですが、現代を生きている我々にも、多少当て嵌まる部分があるのではないでしょうか。

(作中には、どっちが正しいとかは書かれていない)

 

尊敬というものは、なんらかの選択に基づくものだ。だから、だれでもかまわず尊敬するのは、なんの尊敬も払わないことだ。……(中略)……人間の価値になんの差別も設けない漠然とした礼節は、平に御免こうむる。

『人間ぎらい』モリエール著・内藤濯訳 新潮文庫より

 

 序盤にあるアルセストの台詞です。社会的地位を重んじた上で全ての人と円滑なコミュニケーションをとり、自分の好き嫌いで人と接する態度を変えない……のが人としてエライ現代とは全く逆のことを言っています。人を差別し、人によって態度を変えるのがむしろ相手への礼儀だと言っています(但し、好きか、嫌いか、尊敬するか、しないか、その基準については、しっかりと自分の中に芯を持っていないといけないけれども)。

 個人的に自分は人間の好き嫌いが態度に出るタイプだと思っています。そして、そういう人が好きです。いい悪いは別にして、学生の頃からそう考え方が変わってません。(自分にとって)面倒臭い人間とは喋らない。これに尽きる。八方美人というのは根本的に無理ですし、誰に対してもニコニコしている人間に対して、「この人いい人だな」ではなく、何考えてるかわからんと不気味に思う性格だからです。敵を作らない人は二種類あって、ホントに誰からも慕われ誰のことも慈しむことの出来る聖人みたいな人か、単純に人としての中身がなくて大して誰の印象にも残らない人間かのどちらかだと思いますが、私は性格的に多分どちらにもなれないと思われる。

 社会に出たら人間関係を疎かにしてはならないということになりますが、むしろ自分にとって無駄・弊害となる他人を切れない情のある人間が問題ではなかろうか。もうちょっとサッパリしてもいいのではないかと思ったりします。